
電車でおでかけ 細辻伊兵衛美術館
京都市中京区室町通三条上ルにある日本最古の綿布商・永楽屋さんが2022年4月にオープンした手ぬぐい美術館、細辻伊兵衛美術館に出かけてきました。
「細辻伊兵衛美術館」は京都市の中心部にあり、京都御所や二条城、寺町京極商店街、新京極商店街にも近いので、美術館を訪れたあとは、近隣に沢山あるお洒落なカフェでほっこりしたり、京都の街を散策したりと観光の幅も広がります。
この日は11時過ぎに地下鉄丸太町駅に到着しましたので、お目当ての十二段屋さんでお昼ごはん。京都のお茶漬け&細辻伊兵衛美術館の週末日帰り旅行です。
丸太町十二段屋でお昼ごはん

京都には、「十二段家」という名前の料理店が複数あります。有名なのは、祇園にある本店と、丸太町にある「丸太町十二段家」です。
祇園にある「十二段家 本店」は、しゃぶしゃぶ発祥の店として知られています。一方、「丸太町十二段家」は、もともと祇園町で丹後家という小さい甘いもの屋として始まりました。
店名は、丹後出身の丹後家のご主人が、若いころから修行した菓子職人の経験を生かして歌舞伎の演目「忠臣蔵」に因み甘党十二段を考案したところ、お客の間で十二段目まで全部食べた者はただになるというような噂がたち、いつの間にか店名も「十二段家」と呼ばれるようになったそうです。
また、祇園という京都を代表する花街の中にあって、朝帰りの酔っ払いの客が、あっさりしたお茶漬けで口直しをしたいとの注文に、ありあわせの浅漬けでご飯を提供したところ評判になり、赤出しに季節のお漬物、ご飯という現在のスタイルができあがりました。

この日注文したのは、税込2,200円の水菜です。いまから30数年前、ずぐ近くのワンルーム・マンションに住んでいた学生時代に、何度か食事に来たことがありますが、いつも頼んでいた水菜を注文すると、メニューの内容も料金も当時と変わっていないことにびっくりしました。
そして何より、このお店が行列ができる人気店になっていることにもびっくり。食事を終えて店を出ると、店内に入りきれない人の行列がお店の前につづいていました。
恋する手ぬぐい展:時代を超えた愛のデザインを楽しむ
京都の伝統と職人の技が息づく細辻伊兵衛美術館で、特別な展示が開催されます。その名も、「恋する手ぬぐい展」。江戸・明治・大正・昭和・平成・令和と、時代を超えて受け継がれてきた「恋」をテーマにした手ぬぐいが一堂に会します。

この日の展示のテーマは、「恋するテヌグイ」
創業400年以上続く綿布商・永楽屋の手ぬぐいコレクションから、江戸・明治・大正・昭和・平成・令和の6つの時代を超えた「恋するテヌグイ」を展示しています。
開催期間は、2025年2月14日(金)~4月10日(木)まで
期間中、カップルやご夫婦、仲の良い女性の友人同士で訪れると、通常1,200円の入館料が2人で2,000円になるお得なペア割引が適用されます。
手ぬぐいの美と歴史を巡る旅:細辻伊兵衛美術館の魅力

京都には数多くの美術館がありますが、細辻伊兵衛美術館はその中でも特別な美術館です。ここでは、江戸時代から続く**日本最古の綿布商「永楽屋」**が生み出してきた手ぬぐいの歴史と美しさを堪能できます。
時代を超えて愛される手ぬぐいの魅力
館内に足を踏み入れると、江戸・明治・大正・昭和・平成・令和と時代を超えて受け継がれた手ぬぐいがずらりと展示されています。手ぬぐいは単なる実用品ではなく、そのデザインには各時代の文化や流行、職人の技が詰め込まれた芸術作品であることが、この美術館を訪れると実感できます。

特に目を引くのは、細部まで緻密に描かれた柄や、鮮やかな染めの技術。伝統的な和柄からモダンなデザインまで、多彩な手ぬぐいが並び、まるで時代の流れを旅しているかのような感覚に。

手ぬぐいと聞くと、実用品のイメージが強いかもしれませんが、実はそのデザインには恋心や情熱、時代ごとの恋愛観が反映された芸術的な要素が、ぎゅっと詰め込まれたアート作品であることが、こちらの美術館の展示を見ると実感できます。
江戸時代の粋な恋、大正ロマンに彩られた恋、昭和の甘酸っぱい恋、そして令和の新しい愛の形――それぞれの時代の「恋」が、手ぬぐいの中に美しく描かれています。

色鮮やかな染め技術やユニークな図案の数々に、まるでタイムスリップしたかのような感覚に。

また、入館チケットには手ぬぐいが使われていて、半券をもぎると、残った手ぬぐいはそのままお土産として持ち帰ることができるというユニークな仕掛けも。この遊び心あふれるアイデアは、訪れる人々に驚きと喜びを与えています。

ミュージアムショップでお気に入りの一枚を
さらに、1階のミュージアムショップには、復刻版をはじめとする300種類以上の手ぬぐいが販売されていて、ここでしか買えない限定デザインもあり、京都のお土産として、お気に入りの柄を選んで、自分用にも大切な人へのプレゼントにもぴったりです。
さらに、ミュージアムショップは入館しなくても利用可能なので、気軽に立ち寄れるのも嬉しいポイント。
アクセスも便利!京都観光の途中に立ち寄れる
アクセスも便利で、地下鉄烏丸線・東西線「烏丸御池駅」から徒歩約3分という好立地にあり、観光の合間にも気軽に訪れることができます。
伝統と遊び心が融合した細辻伊兵衛美術館で、手ぬぐいの奥深い世界を巡る旅に出かけてみませんか?
織田信長が拓いた木綿の道:細辻伊兵衛と永楽屋の400年の歴史

織田信長と木綿の普及
信長は、ポルトガルやスペインとの南蛮貿易を積極的に推進し、鉄砲や火薬だけでなく、インドや東南アジアから輸入された木綿にも注目しました。それまでの庶民の衣服は主に麻でしたが、木綿は肌触りがよく、保温性に優れ、丈夫で扱いやすいという特徴がありました。信長は、これを戦国時代の経済政策の一環として活用し、木綿の流通を促進することで商業を活性化させました。
「細辻」の姓と「永楽屋」の誕生
そんな木綿の普及が進む中、京都で綿布商として名を馳せたのが、永楽屋の初代・細辻伊兵衛でした。彼は、織田信長公から「細辻」の姓を拝領し、その後、1615年(元和元年)に「永楽屋」を創業。以来、木綿を扱う専門商として京都で繁栄していきます。
永楽屋の400年にわたる歴史
戦国時代、日本の庶民の衣服といえば、主に麻が使われていました。しかし、織田信長が推進した南蛮貿易によって、木綿が日本にもたらされ、次第に人々の暮らしに浸透していきました。
永楽屋は、時代とともに木綿の染色技術を高め、職人の手による美しいデザインを生み出すことで、手ぬぐいや風呂敷といった文化を育んできました。
江戸時代には、木綿が庶民の衣料として完全に定着し、永楽屋は上質な手ぬぐいや風呂敷を提供する名店として知られるようになりました。さらに、明治・大正・昭和を経て、時代ごとの流行や文化を反映したデザインを次々と生み出し、その伝統は今も受け継がれています。
現代に続く永楽屋の手ぬぐい文化

現在の永楽屋は、創業から400年以上の歴史を持ち、細辻家が代々受け継いできた伝統と技術を今に伝えています。細辻伊兵衛美術館では、その長い歴史の中で生み出された貴重な手ぬぐいや染色技術の粋を楽しむことがでます。
かつて、織田信長が開いた南蛮貿易の道を通じて日本に広まった木綿。その流れを受け継ぎ、職人の技とともに発展してきた永楽屋の歴史は、まさに日本の商業と文化の進化を映し出す鏡とも言えるでしょう。
時代を超えて愛される木綿とともに歩んできた細辻伊兵衛と永楽屋の400年の軌跡。京都を訪れた際は、その歴史の一端に触れてみてはいかがでしょうか?
忠臣蔵と京の商人:大石内蔵助と細辻伊兵衛の知られざる交流

元禄15年(1702年)12月14日、赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入りを果たし、主君・浅野内匠頭の無念を晴らした――この「忠臣蔵」の物語は、今もなお日本人の心を揺さぶります。しかし、その討ち入りの裏側には、京都の商人たちとの密かなつながりがありました。なかでも、大石内蔵助(大石良雄)と京都の老舗綿布商「永楽屋」の初代・細辻伊兵衛との交流は、あまり知られていません。
京都潜伏の大石内蔵助と「昼行燈」の策略
赤穂藩が取り潰された後、大石内蔵助はすぐに討ち入りの計画を実行に移すのではなく、あえて京都に潜伏しました。約1年半の間、彼は祇園や伏見の遊郭に通い、酒宴に興じる姿を見せることで、幕府の目を欺いていました。この戦略によって、内蔵助は**「昼行燈(ひるあんどん)」**――つまり、頼りにならない怠け者と思われるようになり、幕府の警戒を弱めることに成功したのです。
しかし、その裏では着々と討ち入りの準備が進められていました。京都に滞在していた間、内蔵助は信頼できる商人たちと密かに接触し、武具の調達や資金の確保を行っていたとされています。その中に、永楽屋の初代・細辻伊兵衛もいたと考えられます。
細辻伊兵衛と大石内蔵助の交流

当時の京都は日本有数の商業都市であり、情報が集まる拠点でもありました。商人たちは表向きは幕府に従いながらも、裏では浪人や大名家との独自のネットワークを持っていました。細辻伊兵衛も、綿布商としての取引の中でさまざまな武士と関わりを持っており、大石内蔵助とも接点を持つようになったと伝えられています。
京都に潜伏していた内蔵助は、細辻伊兵衛をはじめとする商人たちから情報を得たり、密かに支援を受けたりしていた可能性があります。また、後世には、この縁を称えて**「由良之助(ゆらのすけ)」という商品が永楽屋から発売**されるなど、二人の交流が長く語り継がれることになりました。
歴史に刻まれた商人と武士の絆

忠臣蔵といえば、江戸での討ち入りがクライマックスとして語られがちですが、その裏には京都での慎重な準備期間があり、そこでの人々との交流が重要な役割を果たしました。もし、細辻伊兵衛のような商人たちがいなければ、内蔵助の計画は思うように進まなかったかもしれません。
400年以上の歴史を持つ永楽屋には、こうした商人と武士の知られざる物語が刻まれています。京都の伝統文化に触れながら、歴史の奥深さを感じてみてはいかがでしょうか?
アクセス
地下鉄烏丸線・東西線「烏丸御池駅」から徒歩約3分
知っておくと便利な「まるたけえびす」京町筋わらべ唄

京町筋わらべ唄は、京都市内の主要な通りを覚えるための伝統的な覚え歌です。この歌は京都の通りを東西に走るものと南北に走るものに分けて覚えるもので、主に東西に走る通りの名前が歌われています。
歌詞
まる たけ えびす に おし おいけ
あね さん ろっかく たこ にしき
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう
せった ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう さんてつ とおりすぎ
しちじょう こえれば はち くじょう
じゅうじょう とうじで とどめさす
歌詞の通りの意味
歌詞に含まれる通りは以下の通りです(北から南に順番)
- まるたけ:丸太町通と竹屋町通
- えびす:夷川通
- に:二条通
- おし:押小路通
- おいけ:御池通
- あねさん:姉小路通と三条通
- ろっかく:六角通
- たこ:蛸薬師通
- にしき:錦小路通
- し:四条通
- あや:綾小路通
- ぶったか:仏光寺通と高辻通
- まつまん:松原通と万寿寺通
- ごじょう:五条通
- せった:雪駄屋町通(現・楊梅通)
- ちゃらちゃら:鍵屋町通(現・的場通)
- うおのたな:魚の棚通(現・六条通)
- ろくじょう:六条通
- さんてつ:三哲通(現・塩小路通)
- しちじょう:七条通
- はち:八条通
- くじょう:九条通
- じゅうじょう:十条通
- とうじ:東寺
活用方法
この歌は、京都を訪れる人々が街中を歩くときや、地元の人々が通りの名前を記憶するための簡易な方法として使われてきました。現在でも観光客や京都出身者の間で親しまれており、京都の文化や街並みを学ぶ上で重要な知識とされています。
歌の特徴
リズムよく通りの名前を並べているため、聞き覚えがよく、覚えやすいのが特徴です。歌いながら通りを実際に巡ると、京都の地理がより身近に感じられるでしょう。
「まるたけえびす」の数え歌は、京都ならではの街の風情や、地元文化を感じる一つの入口としても楽しむことができます。
京都観光で、まるたけえびすを使ってみる
今回の旅で起点になるのは地下鉄烏丸線・東西線「烏丸御池駅」そこから西へ2ブロック移動すると「室町通」という南北の通りに出ます。
この「御池通」と「室町通」の交差点、「御池室町」を南へ2ブロック下がると「三条通」があり、その手前に「細辻伊兵衛美術館」があります。
一方「丸太町十二段屋」は「丸太町通両替町西入」にありますので、「室町通」をそのまま北へたどって「丸太町」に出ると、すぐそこに「丸太町十二段屋」があります。
これは、数えうたの「まる たけ えびす に おし おいけ」と「あね さん ろっかく たこ にしき」の部分にあたります。
このように「細辻伊兵衛美術館」と「丸太町十二段屋」の観光を「まるたけえびす」を使ってみてみると、視覚的に京都の地図を頭の中に描くことができます。
